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爨宝子碑 2007年10月27日(土)更新
東晋・太亨四年(義熙元年、405)
16.0×63.0cm
爨宝子の墓地に建てられた記念碑。彼の生来の美徳、若くして建寧太守となり、弱冠二十五歳にして没した悲しみなどを伝えている。碑石は乾隆四十三年(1778)雲南省南寧の南方揚旗田から出土したといわれ、文字の磨滅が少なく、状態が好い。この地方は古くから爨氏の根拠地で、漢代から県政が行なわれていた。
太亨四年当時はすでに王羲之が流麗な行草体を完成させ、楷書も立派なものが出来つつあったはずであるが、雲南という辺境の地にあっては、こうした一時代古様の書が根強く定着していたのであろう。あるいは、建碑に際し、旧来の書法を尊んで威厳を誇示したとも考えられる。いずれにせよ、隷書から楷書に移る過渡的な筆のはたらきを明確にとらえることができよう。出所:「書の歴史」
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