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行書動止帖2007年12月02日(日)更新
【和:ぎょうしょどうしじょう】 |
【中:Xing shu dong zhi tie】 |
宋・遼・金・元|彫刻・書画>行書動止帖
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沈遼筆
彩箋墨書
縦27.1、横36.6
北宋・11世紀
上海博物館蔵
沈遼は、銭塘(浙江省杭州)の人。字は睿達。兄の沈遘、伯父の沈括と沈氏三先生と称された。北宋の天聖十年(1032)に生まれ、元豊八年(1085)に歿た。恩蔭によって仕官し、熙寧(1068~77)の初め審官西院主簿、のち太常寺奉礼郎に至った。もと王安石の知遇を受けたが、安石が国政を執るに及び、その意に逆らい、官を奪われ、永州(湖南省)零陵に流された。池州(安徽省)に徒り、室を斉山に築き、名づけて雲巣といい、著に『雲巣編』がある。文章歌詩に巧で、曾鞏、蘇軾、黄庭堅らと唱酬往来した。
落花流水紋を表わした精緻な砑花箋に、沈遼が友人の病状を尋ね、あわせて薬方を記した尺牘である。沈遼は各書体を能くし、隷楷書に秀で、王安石や曾布に書の手本とされたと伝えられる。「東坡題跋』にも沈遼に言及する数則の題跋が収められ、その書は初め唐の沈伝師を、晩に東晋の王献之を学んだという。しかし、書名は宋四大家に掩われ遺品は少なく、数点の行書の尺牘が伝世するほか、 一九七〇年に江西省南豊県で出土した楷書の曾?墓誌が知られる程度である。北宋中期、加工紙の技術はきわめて高く、蘇軾や黄庭堅所用の紙にも、精細で華美な遺品があるが、本作はひときわ鮮やかな水紋紙に沈遼の清峻な筆致を伝える作で、宋時代の造紙工芸の一斑を窺わせるとともに、当時日本に舶載された唐紙を探る資料としても貴重である。かつて明代の著名な蔵書家浦江(浙江省浦江県)鄭氏の収蔵を経て、黄琳、項元本の逓蔵するところとなり、それらの鑑蔵印が鈐されている。出所:「上海博物館展」
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