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烟江畳嶂図巻2007年12月02日(日)更新
【和:えんこうじょうしょうずかん】 |
【中:Yan jiang die zhang tu juan】 |
宋・遼・金・元|彫刻・書画>烟江畳嶂図巻
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王詵筆
絹本著色
縦45.2 横166
北宋・11~12世紀
上海博物館蔵
王詵は字を晋卿という。開封(河南省)の人であるが、その原籍は太原(山西省)である。北宋の慶暦八年(1048)に生まれ、崇寧三年(1104)以後に歿した。北宋の建国の功臣であった王全斌の後裔で、神宗皇帝の熙寧二年(1069)に英宗皇帝の第二女であり神宗の妹である魏国人長公主の婿に選ばれ、駙馬都尉の官を授けられた。
しかし友人の蘇軾が流罪となった元豊二年(1079)の翌年に公主が病歿すると、王詵説もまた様々な事情により失脚し、均州(湖北省均県)に貶逐され、さらに元豊七年(1084)に頴州(河南省阜陽)に移されたが、のち再び朝廷に召された。書画を好み私第の東に宝絵堂をつくり多くの法書名画を収蔵したことで知られる。蘇軾は王詵の為に「宝絵堂記」をつくっている。
また、李公麟の「西園雅集図」、米芾の「西園雅集記」に記されるように蘇軾、蘇轍、黄庭堅などをはじめ北宋末の多くの文人と常に交遊し、当時の芸苑の中心人物の一人であった。王詵は余技として山水画をよくした。水塁山水は五代北宋の李成に学び、また著色山水は唐の李思訓を学んだという。
王詵の烟江畳嶂図巻は明時代末の著録に数本記録され、蘇軾の詩とともに当時著名なものであった。
この烟江畳嶂図巻は無落款であるが古くから王詵の作として伝世し、北宋末の青緑山水画の優品として知られる。
大観的な山水の構成の中に微細な景物が水墨的表現を加味した賦彩と繊細な筆致により実に巧みに描かれている。その景観は、あたかも蘇軾の元祐三年(1088)の有名な古詩「江上の愁心、千畳の山、空に浮かぶ積翠は雲烟のごとし、山か雲か、遠くして知るなし、烟空しく、雲散じて、山は依然たり(王定国所蔵の烟江畳嶂図に書す)のようである。前隔水に北宋の徽宗皇帝といわれる「王詵筆烟江畳峰図」の題書と双龍印、本紙と前隔水の押縫「宣」「和」の朱文連珠方印、本紙と後隔本の押縫に「政和」朱文長方印、「宣和」朱文長方印、「宣和中秘」朱文楕円印が鈐されており、また本紙上に南宋の賈似道の「悦主」朱文胡蘆印、画後に姚樞、宋濂の跋がある。鑑蔵印に従えば北宋の宣和内府、南宋の賈似道、清の孫承沢、宋犖、清朝内府の旧蔵品である
。出所:「上海博物館展」
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