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行書五段巻2007年12月04日(火)更新
【和:ぎょうしょごだんかん】 |
【中:Xing shu wu duan juan】 |
宋・遼・金・元|彫刻・書画>行書五段巻
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呉琚筆
紙本墨書
縦28.7 横63.8
南宋・12~13世紀
劉靖基氏寄贈
上海博物館蔵
呉琚、字は居父、雲壑と号した。開封(河南省)の人。官は慶元年間(1195~1200)に鎮安軍節度使となり、小師に至って卒し、忠恵と謚された。
生卒年は未詳。淳熙(1174~89)の末から紹熙(1190~94)初年にかけての作例が遺されていることから、十三世紀の初め頃までは生存していたと考えられる。父の呉益(1142~71)は憲聖皇后の弟にあたり、ともに書名が高く、詩翰によって孝宗の知遇を得た。行草書に長じ大字に工で、米芾(1051~1107)を師法としたその書は、落款印章がなければ米書と区別がつかないといわれた。
行書で書写した五紙の段簡を一巻に合装し、砕錦帖と別称されている。第一紙は『漢書』「電去病列伝」、第二紙および第三紙は「世説新語』の摘録である。第四紙の出典は未詳。前四紙には「雲」朱文長方印を鈐す。
第五紙は「天馬賦」中の語句を書写するが、錯簡し文意が通らず、文字にも異同がある。そのため、米芾の天馬賦を背臨したものか、天馬賦を全臨した際に重複して臨書した文字を、後人が一紙に纏めたのではないかと指摘されている。「米元章を学び、峻峭これに過ぎる」と評されるように、呉琚の書には米書を髣髴とさせながらも、ややけわしさの勝る手跡も遺されている。本作は、第四、五紙の墨色はさほど濃くないが、全紙とも渾厚で量感に富み、文字の中心が左にかしいだ勢態や、躍動感のある縦恣な筆致はきわめて米書に類似している。呉?の書は、ときに米書と誤って伝えられたというのも首肯されよう。前人の諸詩を雑録した作例は、他に雑詩帖(台北、国立故宮博物院)、雑書十帖(北京、故宮博物院)が知られている。王文治、翁方網、張塤、呉錫麒、張懐玉、呉栄光、祭之定、林則徐らの跋があり、「筠清館帖」、「海山仙館帖」に刻入され、『辛丑銷夏記』に記載がある。劉靖基氏により上海博物館に寄贈された。出所:「上海博物館展」
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