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行書真鏡庵募縁疏巻 2007年12月06日(木)更新
【和:ぎょうしょしんきょうあんぼえんそかん】 |
【中:Xing shu zhen jing an mu yuan shu juan】 |
宋・遼・金・元|彫刻・書画>行書真鏡庵募縁疏巻
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楊維楨筆
紙本墨書
縦32.3 横278.4
元・14世紀
胡素荇氏寄贈
上海博物館蔵
楊維楨、字は廉夫、鉄崖と号し、別号に東維子、鉄笛道人、抱遺叟などがある。諸曁(新江省紹興)の人。元の元貞二年(1296)に生まれ、明の洪武三年(1370)に歿した。泰定四年(1327)進士に登第、天台県尹を署し、後に銭清場塩司令に改められたが、狷介で人に同じないために、十年も同じ地一位に置かれた。後年、江西儒学提挙に躍んでられたが、兵乱にあい、富春山に避難。さらに銭塘に従り、西湖の鉄治嶺に書を読み、李孝光、張雨、倪瓚、顧瑛らと詩文を唱和し詩名が高く、湖山の間に周遊した。晩年は松江に隠栖した。好んで声色に耽けり、数々の逸話が伝えられるが、元朝が減びて後は明に仕えなかった。
晩年松江に従居し、僧侶道士と往来した楊維楨が、真鏡庵の修築に際し、浄財を募るために揮毫した募縁疏である。真鏡庵は、別に真境庵、珍敬庵と称し、南宋の端平元年(1234)に創建され、庵址は上海の高行鎮にあるという。当時広く受入れられていた章草の筆法を交え、恋意的な結体と章法で闊達に書き進め、清勁な響きをたたえた輝然とした作風には、張雨の影響も認められる。復古主義を標榜した趙孟頫とは対熙的な、元末野逸の一派として位置づけられている。巻首の「東維子」朱文長方印は晩年の号。鉄道人と款署し、「九山白雲居」朱文長方印、「会稽楊維禎印」朱文方印、「廉夫」白文方印、「鉄笛道人」朱文方印を鈐す。明の都穆、清の曹三才、銭大昕、李林松、王乃徴、郭則澐らの跋があり、後年真鏡庵ゆかりの地にある上海博物館に帰した。出所:「上海博物館展」
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