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後赤壁図巻 2007年12月09日(日)更新
【和:ごせきへきずかん】 |
【中:Hou chi bi tu juan】 |
明・清|彫刻・書画>後赤壁図巻
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陸治筆
紙本著色
縦22.9 横106.1
明・嘉靖四十年(1561)
上海博物館蔵
陸治は字を叔平といい、包山と号した。明の弘治九年(1496)、呉県(江蘇省蘇州)に生れた。仕官をこころざし挙人の試験に応じたが果せず、晩年は郷里の支硎山に庵を築き「包山」と名付け、菊数千本や花木数百種を植え、山を出ることなく清貧な隠棲生活を送ったという。万暦四年(1576)、八十一才で歿した。文徴明門下の一人で詩文をよくし、また画は山水、花卉竹石などをよくした。文徴明、祝允明など多くの蘇州の文人と交友した。山水画は文徴明に学び、のち元末四大家の王蒙、倪瓚を師法して、非常に繊細な用筆により淡く色彩の豊かな独自の画風を確立した。文徴明を中心とする嘉靖期(1522~66)の呉派を代表する画家である。
後赤壁図巻は嘉靖四十年(1561)、陸治六十六才の作。蘇軾の「赤壁賦」は文徴明をはじめ呉派の文人が好んで画いた主題であり、例えば文徴明も晩年に至るまで赤壁図を数本画いている。北宋の元豊五年(1082)秋七月、蘇軾は友人と舟を出して赤壁の下に遊び「赤壁賦」をなしたが、同年の十月に再び二人の友人を従えて赤壁に遊び「後赤壁賦」をつくった。既に霜露が降り木の葉は落ちる季節である。陸治は横巻の小画面に、清風と名月とともに遊ぶ蘇軾と友人の姿を実に印象的にあらわしている。「江流有声、断崖千尺、山高くして月小さく、水落ちて石出でたり、…、劃然として長嘯すれば、草木は震動し、山鳴って谷応じ、風起こって水涌く、予もまた悄然として悲しみ、粛然として恐れる」(「後赤壁賦」という情景を巧みな構成の中に繊細な筆と淡い色彩により見事に表現している。それは最も陸治らしい質をもつものである。巻末に「後赤壁賦」の中の「山高月小、水落石出」の句が題され、「嘉靖戊午年秋暮作予松陵道中、包山陸治」の款記と「陸治之印」白文方印、「陸氏叔平」白文方印の二印がある。巻頭の引首に明の朱之審「楚黄勝遊」四大字の題、画後には文徴明の長子である文彰の隆慶四年(1570)の行書「後赤壁賦」がある。銭鏡塘旧蔵品。出所:「上海博物館展」
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