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牡丹蕉石図 2007年12月09日(日)更新
【和:ぼたんしょうせきず】 |
【中:Mu dan jiao shi tu】 |
明・清|彫刻・書画>牡丹蕉石図
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徐渭筆
紙本墨画
縦120.6 横58.4
明・十六世紀
上海博物館蔵
徐渭は水墨の花卉雑画をよくした。その画は、即興的であり、正に逸格の水墨画というべきものである。草書のような筆法と放縦で潑塁的な墨法により、自己の胸中に映るものを意のおもむくままに自在に表現している。徐渭の水墨表現は形似をはなれて狂逸ともいわれたが、それは墨戯本来の表現というべきであり、宋元時代以来の花卉雑画を一新するものであった。ほとんどの徐渭の画には詩文が書かれており、米芾を学んだ奇異奔放な書による自賛を得て徐渭の画は完結するといえる。
牡丹蕉石図は濃淡の水墨を変幻自在に紙に滲じませ大石とその背後に二本の芭蕉、下方に一枝の牡丹を描くが、それはまさに形似をはなれて画家の心象をあらわすものといる。徐渭は自賛の中で唐代の道士で時節によらずいろいろの花を咲かせたという殷七七のように、春に咲く牡丹の花を水墨により深夏に開かせたといい、また、描き終わって酒を飲み酔って狂歌を賛することなどを述べている。徐渭の水墨花卉図としては高島家旧蔵の万暦三年(1575)、五十五才の時の花卉雑画巻(東京国立博物館蔵)と万暦十九年(1591)、最晩年七十一才の時の住友家旧蔵の花卉雑画巻(泉屋博古館蔵)が制作年の明らかな優品として知られているが、この牡丹蕉石図のたっぶりとした墨法は高島家旧蔵本に近い趣があるといえる。徐渭の水墨花卉雑画は明の遺民画家朱耷(八大山人)、清の李鱓、鄭燮など揚州派の画家の先駆をなすものであり、それはさらに趙之謙以降の近代画壇にも大きな影響をあたえた。清初の梁清標の鑑蔵印があり、その旧蔵品であった。徐渭の題賛は次の通り。
「焦墨英州墨、蕉叢鳳尾材、筆尖、殷七七、深夏牡丹開、天池中漱犢輩」。印二、「華暗子雲居」白文方印「徐渭之印」白文方印。「画已、浮白者五、酔矣、狂歌竹枝一闕、贅書其左、牡丹雪裏開親見、芭蕉雪裡王維壇、霜兎毫尖一小児、馮渠擺撥春風面、嘗親見雪中牡丹者両」。印一、「天池漱仙」白文方印。「杜審言、吾為造化小児所苦」。印一、「墨三味」白文方印。また「湘管斎」朱文方印がある。出所:「上海博物館展」
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