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蓮石図 2007年12月11日(火)更新

蓮石図

【和:れんせきず
【中:Lian shi tu
明・清|彫刻・書画>蓮石図 

陳洪綬筆
紙本墨画
縦151.4 横61.9
明・十七世紀
上海博物館
 陳洪綬は字を章侯といい老蓮と号した。万暦二十七年(1599)に楓橋鎮(折江省諸曁)の名門の家に生まれた。父の陳于朝は徐渭と交友があり、陳洪綬も後年一時、徐渭の旧居の青藤書屋に住んだことがある。早年に東林党の劉宗周について理学を学んだという。科挙の試験(郷試)には度々応じたが失敗を重ね不本意な前半生をすごした。崇禎十五年(1642)頃に朝廷に召されて歴代帝王図巻を臨模したが、画士として扱われるのを恥じて帰郷したという。明朝滅亡後、紹興の雲門寺で僧となり悔遅、勿遅、悔僧などと号した。紹興、杭州で売画を専らとし、狂士といわれるような放恣な生活を送り、清の順治九年(1652)に五十四才で郷里で歿した。
陳洪綬は明末以降よくみる職業画家化した文人画家である。画ははじめ藍瑛あるいは孫杕に学んだといい、また唐宋の古画を臨模することにより自己の画風を形成していった。しかし、それは甚だ奇古な画風であり、前人と異なる別の門戸を立てたという。人物、仕女、花鳥、山水をよくしたが、伝統的な表現とともに形態の極端なデフォルメを伴う実にエキセントリックな表現もよくした。その人物画は当時既に評判高く、北方の崔子忠とともに「南陳北崔」と並称された。陳洪綬の生きた明末は絵画において董其昌以後の大変化がおこった時代であった。正統なるものに対して奇想と幻想にみちた芸術があらわれたのである。呉杉、丁雲鵬、崔子忠、陳洪綬などは明末を最も特色づける画家であり、その流れは清時代の多くの個性的画家に継承された。
蓮石図は陳洪綬のあまり奇古ではない画風を示す佳品で、水墨の効果的な滲みを示す没骨と飛白風のかすれをもつ筆による白描的な表現は実に巧級緻であり陳洪綬の習熟した画技をみることができる。図上には陳洪綬の独特な書風による「青蓮法界野人家、官柳蓑蓑百丈沙、戦馬未来尚未去、懐之不己写蓮華」の題詩と「用沙花韻、書似如功盟大弟即教我、弟綬」の款識と「蓮白衣」白文方印、「章侯氏」白文方印、また引首に「山楼」朱文長方印がある。銭鏡塘氏旧蔵品。出所:「上海博物館展」

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