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山水花鳥図冊(山水/第七図) 2007年12月11日(火)更新
【和:さんすいかちょうずさつ】 |
【中:Shan shui hua niao tu ce】 |
明・清|彫刻・書画>山水花鳥図冊(山水/第七図)
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朱耷筆
紙本墨画
各図とも 縦37.8 横31.5
清・康熙三十三年(1694)
上海博物館蔵
朱耷は明朝の江西寧藩戈陽王の家系の朱多(火+正)の四世の子孫である。朱耷はその小名であり本名を朱中桂といった。晩年の八大山人の号をもって最もよく知られているが、个山、何園、驢漢などとも号した。明の天啓六年(1626)に南昌(江西省)で生まれた。明朝が滅亡すると出家し、進賢(江西省)の弘敏禅師の門下にはいり、伝綮、刃綮と号するようになった。その後二十年余り禅僧として隠逸生活を送り、多くの弟子を従えたという。康熙十八年(1679)に県令の胡亦堂に招かれ臨川(江西省)に移るが、反清の疑いをもたれて軟禁された為、ついに康熙十九年(1680)、五十五才の時、突然狂疾を発し(佯狂ともいう)、僧服に火をかけ還俗して南昌に帰郷した。八大山人と号するようになり(五十九才で「八大山人」の印を用い、六十才で「八大山人」の款署を用いている)、明朝の遺民としての意識をもちつづけて康熙四十四年(1705)八十才で歿したという。詩文書画をよくし明末清初を代表する個性的画家として知られ、原済(石濤)、弘仁(漸江)、髠残(石谿)とともに「明末四僧」といわれる。水塁の花卉雑画は明の徐渭を、山本画は明の董其昌を継承するものといえるが、それらを止揚して極めて逸気と新意にあふれる画風に到達した。
山水花鳥図冊は雛雀(第一図)、菊石(第二図)、芙蓉(第三図)、鵪鶉(第四図)、荷花(第五図)、鸚(谷+鳥)(吹々鳥、第六図)、山水(第七、八図)を描いたもので、第八図に「甲戊閏五月之既望、雨坐居敬堂、為作此図」の款記があり康熙三十三年(1694)、六十九才の作である。濃淡の水墨を自在に用いて清逸な雰囲気をもっており、住友家旧蔵の同年の作である水墨山水花鳥図冊「安晩帖」(泉屋博古館蔵)とともに八大山人の代表作とされる優品である。画後に呉俊卿の跋がある。出所:「上海博物館展」
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