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篆書庾信四賛屏 2007年12月13日(木)更新
【和:てんしょゆしんしさんへい】 |
【中:Zhuan shuyu xing si zhan ping】 |
明・清|彫刻・書画>篆書庾信四賛屏
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鄧石如筆
灑金箋墨書
各幅とも 縦179.8 横56.8
清・十八~十九世紀
上海博物館蔵
鄧石如、原名は琰、字は石如。のち嘉慶帝の諱を避け、頑伯と改めた。乾隆八年(1743)に生まれ、嘉慶十年(1805)に歿した。一生を布衣で過ごしたが、梅謬や劉墉など諸名士の知遇を得て、かたわら書、篆刻により生計をたて、各地を遍歴した。篆刻は徽派を学んで一家をなし、「鄧派」「皖派」と称された。書は各体に精熟し、とりわけ篆隷に秀で、包世臣らによって、碑学派の祖として称揚され、後世に多大な影響を与えた。北周の庾信の「黄帝見広成子讃」「大舜舞干戚讃」「成湯解網讃」「文王見呂尚讃」を篆書で灑金箋に書いた四屏である。款記は隷書で、「鈍翁」「皖水鄧石如」「頑伯」「完白山人」の款署があり、各幅に「鄧石如」白文方印、「頑伯」白文方印を鈐す。紀年はないが、「皖水鄧石如」の款署があるため、仁宗帝顒琰が即位(1796)して、琰の字を避けた、鄧石如五十四歳以降の作であることが分る。篆書は初め李陽冰を学び、のち諸碑を融合し、隷意を交えた渾厚な書風を完成した。四幅とも字形はやや縦長で、厳謹な結体と重厚な筆力で、款署の隷書も見事である。出所:「上海博物館展」
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