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朱漆稜花奩 2007年12月15日(土)更新
【和:しゅうるしりょうかれん】 |
【中:Zhu qi ling hua lian】 |
宋・遼・金・元|彫刻・書画>朱漆稜花奩
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上海市青浦県任氏墓出土
木製漆塗
高38.1、径27.2
元・十四世紀(1338~53)
上海博物館蔵
朱漆や黒漆などの彩漆を器面に塗りほどこし、その他のいっさいの加飾をもたない漆器を一般に無文漆器と呼びならわしている。この種の技法は漆工芸のなかでは、もっとも初歩的なもので、中国では新石器時代からおこなわれている。この無文漆器が上層階級の日常用品として普及するようになったのは宋時代のことであり、それの優品がつくられた最盛期は宋,元の両時代といってよい。そして、こうした無文漆器はいつの世においてもかわることなく、つねに底流のように制作されつづけており、そういった意味では、これは中国の漆工芸史における本流とみなしてもよいであろう。
この奩は前掲の東籬採菊堆朱盒子と同様、上海市青浦県の任氏墓から出上したものであり、女性の化粧道具をおさめる器である。そして、元時代の無文漆器としてはめずらしく、制作年代がほぼあきらかにされるきわめて重要な遺品でもある。器全体を八弁の稜花形にととのえた四段重ね蓋付きの盒子で、ここではことに、高めの高台が特徴的である。内部および底裏は黒漆塗りとしているが、器体の外面は朱漆塗りとしている。現在はその表面が褐色にみえるが、これは朱漆塗りのうえに透漆のようなたぐいの漆が塗られているものと思われる。保存状態はすばらしく、高台の内側一ケ所に欠落した部分があるだけで、ほぼ完形の姿をそのまま示しており、無文漆器に特有の亀裂のはいった断紋もほとんど見出されない。このことは、この作品の器体づくりと密接な関係がある。ここでは、吟味された木板が用いられ、また、上等の布が着せられ、さらに、しっかりした下地がほどこされており、素材と技術がぴったりと組みあわさった結果、こうした完壁な器体づくりができたのであろう。蓋表と肩部との境目、各段の合口部四ケ所、そして高台下方などに銀色をした幅広の帯がみられるが、これは、もともと指のような薄めの銀板を覆輪としてまわしていたものが腐蝕してなくなった痕跡を示しているものと思われる。
いずれにせよ、この奩が、きめの細かい配慮のもとにじつに丁寧につくりあげられたものであることに驚かされるが、それよりもっと驚嘆させられるのはその器形であろう。そもそも、器皿のかたちには、円形、長方形、正方形、六角・八角・十角形をはじめ、六花形・八花形、輪花形、稜花形などいろいろあるが、元時代の無文漆器のかたちで頻繁に見うけるのは輪花形と稜花形のよたつであり、それらはこの時代の流行をよく示したものといえる。そして、それら二種類のかたちをみせた遺品をみると、その数は輸花形より稜花形の方がずっとまさっていることがわかる。この様子はひとり漆器にかぎったことではなく、同じ時代の陶磁器や金工品についても同様であり、稜花のかたちがこの時代の人びとにいかに好まれていたかわかる。この奩をみると、ここでは、弁の切り込みを思いきり深くしており、結果として、それはこの作品によりいっそうの力強さを横溢させることに成功している。その端正な姿はまるでこれを金属器とみまがうほどであり、こうした破綻のない器形をつくりあげることのできる人は、よほど熟達した名匠であったに相違ない。数多くのこる元時代のこうした稜花形の無文漆器をみても、この奩にみるような整った、力感にあふれた器形をみせたものはすくなく、それらのなかでも、この奩は最高の出来具合を示した作品といえる。なお、出土した時に、この奩のなかには銀覆輸のついた朱漆塗りの小形の丸い盒子が四合と、銅製の鏡が一面おさめられていたといわれている。出所:「上海博物館展」
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