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「同道堂」印 2008年06月25日(水)更新
【和:「どうどうどう」いん】 |
【中:「Tong dao tang」yin】 |
明・清|彫刻・書画>「同道堂」印
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清 咸豊年間
2.0×2.0×7.8cm
寿山石
「御賞」 と「同道堂」のニ印は咸豊皇帝が生前書がに常用していた私印であった。皇帝は咸豊十一年(1861年)に熱河で病死したが、死に臨んで、当時六歳の載淳(のちの同治帝)を皇太子に立て、八名の輔政大臣に政務を補佐させ、「御賞」印を皇后の鈕鈷禄氏(慈安太后)に、「同道堂」印は息子に賜つて、以後の詔諭には必らず初めに「御賞」、終りに「同道堂」を押印することによって有効とするように遺言をした。 しかし、「同道堂」印は六歳の幼帝から生母の慈禧(西)太后の手に落ち、 これから両太后の「垂簾の政」が行われ、西太后が以後、1908年に病死するまで政権を奪い専制をほしいままにするきっかけとなった。出所:『北京博物院・清朝宮廷文化展』
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