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藍釉鉢 2008年07月14日(月)更新
高13、口径10
河南省偃師市恭陵哀皇后墓(垂拱3年〈687)葬)出土
唐時代・7世紀
洛陽博物館
藍釉鉢が出土した恭陵は、唐の第3代皇帝高宗李治(在位649~683年)の第5子、李弘(652~675年)の陵墓で、河南省偃師市南郊に位置する。李弘は顕慶元年(656)に太子に立てられたが、上元2年(675)に24歳の若さで急死した。その声望を恐れた実母の則天武后により毒殺されたといわれる。高宗は太子の死を悼んで「孝敬皇帝」の名を贈り、同年8月恭陵を築いて皇帝の格式で手厚く葬った。翌年妃の裴氏もあとを追うように亡くなり、9年後の垂拱3年(687)に「哀皇后」の名を贈られて恭陵に陪葬された。
1998年2月、恭陵哀皇后墓の墓道東壁龕の部分が盗掘に遭い、捜査の結果加彩俑、陶器など多くの出土品が回収された。全面的な発掘調査によるものではないが、7世紀末における皇后に準ずる墓の出土品として、きわめて重要な発見となった。
出土した陶器は藍釉、褐釉、緑釉など単色の鉛釉が施された容器類が中心である。コバルト顔料を用いた藍釉がふんだんに使用されている点が注目される。いずれも白色の精良な胎土が用いられ、金属器を写したとみられる厳格で重厚な造形を示している。これに対して三彩の出土量はごくわずかで、質も高くない。この時期の明器(死者とともに副葬するもの)のなかでは、三彩はまだ重要な位置を占めていなかったのではないかとも推測される。出所:『遣唐使と唐の美術』
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