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玉琮 2008年07月18日(金)更新
高5.4cm
中国では、磨くと美しい光を発する石を玉(ぎょく)と呼び、新石器時代以来、今日まで珍重している。曽侯乙墓でも多数の玉が発見されたが、そのほとんどは曽侯乙が身に着けていたものである。古来玉は、貴重な財宝として権威の象徴であるとともに、身に帯びる者を不老不死にするなど特殊な力をもつものとされてきた。曽国においても同様の観念があったものと思われる。地質学者の鑑定によれば、曽侯乙墓の玉器の材料には数千キロ離れた新彊ウイグル自治区に産出するものがあるという。玉を得るために遠距離交易が行なわれていたことがわかる。
この玉器には極めて細密な獣面が四側面に一つずつ刻まれている。2種類の獣面があり、互いに隣りあう面の獣面は幾分異なる。
方柱の内側に少し長目の円筒が入ったような形の、琮と呼ばれるこの型式の玉は、新石器時代の良渚文化などで盛んに用いられた。良渚文化では、琮などの玉器が百点以上も埋葬されている墓が多く知られており、何らかの宗教的な意味を持っていたと考えられる。琮は商代以降にも引き続き用いられ、漢代の墓から発見された例もある。出所:『曾侯乙墓』
特別展 日中国交正常化20周年記念
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