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故宮ー宮廷文物 2008年07月29日(火)更新
【和:こきゅうーきゅうていぶんぶつ】 |
【中:Gugong gongting wenwu】 |
明・清|>故宮ー宮廷文物
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紫禁城は明、清の二王朝にわたる皇帝の居所であった。ここに明朝14代、清朝10代の皇帝および多くの皇后、皇妃たちが生活し、数多くの宮廷文物が残されている。なかでも清朝時代の文物が最も多くを占めている。
宮廷文物とは、もっぱら皇帝、皇后、皇妃たちのために特別に考案され、製作されたものをさす。これらの器物は外見の高貴さ、典雅さに加えてその内部の構造、細工も精妙、巧緻を極め、使用されている素材も質が高い。皇室のものであるという特徴を際だたせるために、器物には龍と鳳凰の意匠がふんだんに使用されている。宮廷文物のなかには多種多様なものが含まれており、宮廷政治における式典や政務に関する文物、皇帝、皇后らがふだんの生活のなかで使用した服飾品や食器類、室内の調度品、文房具、武具類、祭祀用の器物などがある。
典礼(儀式、式典のこと)は清朝の宮廷政治において極めて重要な行事であり、多くの朝延の重要事はみな盛大な典礼として挙行されたが、そのなかには社会の倫理道徳や法令制度などが含まれていた。清朝の典礼には吉、嘉、軍、賓、凶の5種の礼があり、それぞれの典礼はその格式の違いによって、用いる器物の数量、等級の違いに厳格な規定があり、例えば編鐘、編磬は最も格式の高い宮廷の雅楽である中和韶楽の演奏にしか用いられることがなかった。冊や印章は、皇后、皇妃たちにとって身分の証明となるものであり、清朝宮廷の制度によると、皇后、妃賓(皇帝の妃や側室)を立てるときには、冊、印章を授けることになっており、身分によって印章の質と冊の枚数に違いがあった。
皇帝、皇后の服飾は宮廷文物のなかで重要な位置を占めている。清朝宮廷の服飾には満州族独特の伝統をそなえたものが多いが、明朝の古い制度にならったものもある。清朝宮廷における服飾の等級の区別は極めて厳格である。夏冬の区別をはじめとして、用いられる場所、機会の違いによっても礼服、吉服、常服、行服などに区別され、冠も同じように礼服冠、吉服冠、常服冠、行服冠に分けられ、装身具である朝珠(珊瑚や蜜蠟〈松の樹脂〉で作られた首飾り)のつけ方にまで細かい規定があった。服飾品の素材にはかなり手が込んだものが使われている。各種の薄手の絹織物、繻子(糸の浮きが多く表面がなめらかで光沢のある柔らかい厚手の絹織物)、紗(透かし目のある薄手の織物)、羅(編み目状の透けた薄い織物)、緙絲(絹の綴織)および孔雀の羽、金糸、ビーズなどを織り込んだ服は、すべて宮廷内から派遣された役人が江寧(現在の南京付近)、蘇州、杭州の三個所の織造(清代の官営の織物工場)に赴いて彼らの監督のもとで織り出された。生地は服に仕立てる前にまず宮廷内の如意館(宮中の絵画工房)の画家がデザインを行い、皇帝の審査を経たのちに三個所の織造が再度縫いあげるというものであった。
皇帝の食事は伝膳、用膳あるいは進膳と呼ばれた。ふだんの食事の場所はきまってはいなかったが、だいたい寝室や日頃過ごしている場所であった。食器はすべて金(銀、玉、陶磁器、七宝、翡翠などで作られた盤、碗、匙、箸などで、いずれも民間ではまず見ることのできないものばかりである。
満州族は武力によって天下を握り、清王朝を打ち建てたが、そののちも宮中に明王朝時代の多数の官僚、官官をそのまま用いたために宮廷の文化や生活習慣もだんだんと漢民族風にかわっていった。歴代皇帝もまた自ら文化的な教養を身につけることを非常に重んじたため、順治、康熙、雍正、乾隆などの皇帝はみな同じように書をよくし絵画に巧みであった。宮中にはまた絵画専門の部署として如意館と称する絵画工房を設立して優秀な画家を集めたが、康熙年間には多くの西洋画家を採用しており、そのなかで最も有名な画家が郎世寧であった。彼は西洋画法と中国画法とを見事に結びつけ、その絵は立体感や質感の表現に優れていたことから皇帝の大いに好むところとなった。そのほか清朝宮廷の歴代の収蔵品には、書、絵画、書籍類、青銅器、陶磁器、玉器などがあり、極めて豊富である。
皇帝、皇后の日常生活の場は、乾清門(紫禁城内の中心よりやや北寄りにあり、この門から北側が皇帝の私的生活の場であった)の中の后宮(皇后や皇妃が住んでいた所)が中心であった。宮廷の中には精巧に作られた様々な実用品、調度品があり、衝立宝座(皇帝が臣下などの謁見をうける際の座席)をはじめとする家具類、時計、冠の台、如意(孫の手の形をした棒で、儀式などの時に携えて威儀をただす)、渣頭(肉や魚の小骨を入れる器)、煙草を容れる壺、水煙管、化粧道具などにいたるまであらゆるものが揃っている。これらは金、銀、真珠、宝石、玉、七宝、紫檀などの豪華な材料で作られており、皇室が至高の存在であることを示さないものはない。
清朝初めから中頃にかけての皇帝たちは、軍備を非常に重視し、閲兵、狩猟などを常に行うことによって兵士たちの戦意を高く保つことに意をそそいだ。宮廷内には刀剣などのほか、銃や大砲などの火案器が数多く保管されていたが、これらは防衛の目的のほかに、皇帝が王朝建立当初の制度を忘れず、いつでも思い起こすことができるようにするためでもあった。
宮廷文物の内容は各分野にわたって非常にヴァラエティーに富んでいる。現に清代の社会生活の縮図として見ることもできるし、皇帝、皇后たちの生活情趣をも窺うことができる。そしてまた清朝社会の興隆から衰退にいたる歴史の過程をも具体的に示しているのである。出所:北京・故宮博物館名宝展-紫禁城と中国4000年の美の秘宝
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