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渓山晩照図 2008年08月05日(火)更新
【和:けいざんばんしょうず】 |
【中:Qi shan wan zhao tu】 |
明・清|彫刻・書画>渓山晩照図
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沈周(1427-1509)
明・成化22年(1486)
冷金箋墨画・掛幅装
159.0×32.8cm
北京故宮物院蔵
沈周は字(成人の後、実名のほかにつける名)は啓南、号(画家などが本名、字のほかに用いる名)は石田、晩年は白石翁と号した。長州(江蘇省呉県)の人。代々書画家の家に生まれ、詩文をよくし、書画に巧みであったが終生任官することはなかった。文徴明、唐寅、仇英らと並び「明の四家」と呼ばれる。明代中期以降の文人画面壇に大きな影響を及ぼし、「呉派」(呉は江蘇省蘇州の古名で、文人画風を確立し、明代中期以降絵画史の主流となった画派)の祖を沈周とする見方もある。沈周絵画の主な成果は山水画に見られる。彼は初め明代初期の画家杜瓊及び家伝の画学に学び、のち董源(五代宋初の画家で江南山水画様式の大成者)や巨然(10世紀、五代の僧で山水画家。南宗画の祖)の画法を取り入れ、黄公望、呉鎮、王蒙(いずれも元末四大家の一人)を学んだ。花鳥や野菜、果実などの作品は生き生きとして真に追っている。本作では山々が重なりあい、高山の間から一筋の滝が流れ落ちている。山の麓には板橋がかかって水が流れ、岸には3本の木がある。山石は淡墨による披麻皴(渇いた筆を使いやや波うつ筆線で岩肌などを表わす筆法)で描き、側筆で点苔(苔などを点々で表わしたもの)が加えられている。画面は淡白ですっきりとまとまり優雅な味わいに富む。賛は「夕陽は渓流の柳を照らし、斜光により黄金に浮かぶ。風東より至り、冷たく我が襟に当る。田穉(幼い稲)は頗る長茂し、木渠は尚清く深し。魚は流れる波に逆らい泳ぎ、什五相浮沈する。杖に倚りてまさに物を観れば、茲の行楽の心に適う。行楽己むあたわず、逍遙として短吟となる。・…・・」、落款は「乙巳歳六月五日沈周」とある。この年、沈周は59歳、彼の優作の一つである。出所:北京・故宮博物院名宝展-紫禁城と中国4000年の美の秘宝
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