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莫高窟第二二〇窟東壁北側 2008年09月19日(金)更新
【和:ばっこうくつだい二二〇くつとうへききたがわ】 |
【中:Mo gao ku di 220 ku dong bi bei ce】 |
隋・唐・五代|彫刻・書画>莫高窟第二二〇窟東壁北側 |
維摩経変相図部分[帝王図〕(模写 李其瓊)
紙本着色
縦103.0 横137.8
642年(初唐)
東壁の維摩変相図のうちでもとりわけ優れた画風を示すと思われるこの図は、窟内では北側下隅に描かれている。
文殊菩薩の周囲には三十余体の衆徒が従っており、文殊の前に二比丘と一天女、さらに後方を比丘、菩薩、阿修羅などの天部が囲み、その下方から帝王と群臣違が歩み出る。群臣たちは帝王の前後に十二体を数え、さらに二人の従者が長い柄の翳で帝王に風を送っている。
帝王は前後に六旒の珠飾を垂らした冕旒(帝王の冠)を戴き、両腕を左右いっぱいにひろげ、威風堂々として帝王にふさわしい雄偉さを備えている。背面は上衣を下まで垂らしていたらしく、右腕脇から下にそれが見えており、痩身の白龍が描かれている。これは両肩の目月を表すと思われる円文などと共に十二章の一部で帝王を示す標識である。両肩のなだらかな線をはじめとして、太くあるいは細く、ひときわのびやかに引かれた淡墨の線が、対象に豊かな量感と気品とを付与している。
この帝王の画像は、しばしば初唐の画家、閻立本(~六七三)の筆とされるボストン美術館の「帝王図巻」と比較して論じられる。その<晋武帝司馬炎像〉などに両腕をひろげた類似の形態や服飾を見い出すことができるが、肩から袖にかけての優美な線を欠くなど全体に雅味に乏しい。同図巻については、原本の画趣をどれだけ伝えているかが問題となろうが、少なくとも初唐の中央画壇で活躍した画家の作と関連づけられるボストン美術館像より本図の像がより優雅で品格の高い表現を示すこと、またそれが閻立本活躍期と同じか、あるいは遡る可能性もあることを考慮すれば、はるか西の敦煌絵画界と唐中央画壇とがこのニ二〇窟東壁においてリアルタイムに結びついていたことは想像に難くない。
帝王の背後に連なる廷臣たちは類型的表現におちいることなく、老練な、あるいは自信に満ちた、あるいは実直な、あるいは神妙なといった面貌の個性的表現に優れ、特にそれぞれにふさわしい目付きの描き分けに至っては驚嘆せざるを得ない。各人の顔の肌色は、白から薄い赤や黄味をおびたものまで微妙に変化をつけ、淡墨の細筆で肥痩をつけながら面貌の細部や皺まで描き出し、やや濃い黄褐色で瞼の下などを細やかに隈どり、立体感を付与するなど写実を極めた技法が駆使されている。出所:『砂漠の美術館-永遠なる敦煌』中国敦煌研究院設立50周年記念
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