康熙・乾隆時代墨匠。安徽省績渓県の人。曹素功の藝粟斎で製墨を学び後に徽州府城内で独立して鑑古斎を称した。乾隆六年(一七四一)乾隆帝の命を受けて次子汪惟高(兆瑞)を北京に上らせ、三年の間御墨製作に当らせた。近聖の孫と曾孫の編集で『鑑古斎墨籔』四巻が作られた。出所:『文房古玩事典』宇野雪村 関連用語:
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