時代別順
分野別順
|
兎毫 2009年7月3日更新
漢の劉歆の著といわれる『西京雑記』に「毛皆以秋兎之毫」とある。秋の兎の毛を最上としたことがわかる。後漢の蔡邕も「季冬の兎」を挙げている。日本の九―十一月の兎毫を最上のものとしていたことが判る。
王羲之の師といわれる衛夫人の著(少し後の仮托の事といわれる)『筆陣図』に筆要取崇山絶仭中兎毫。八九月収之。其筆頭長一寸。管長五寸.鋒斉腰長者。とあって、八、九月(今の九月から十一月)頃、崇山の絶壁の兎の毛を取る。筆の鋒はよく斉い腰に弾力のあるものがよい、と言っている。崇山は高い山ということである。
王羲之の『筆経』に「趙国(今の河北省邯鄲県)の兎羲毫、中山(江蘇省漂水県)の兎毫が長くてよい」と言っている。唐代には兎毫のことを紫毫と言った。白楽天の「紫毫筆楽賦詞」に紫毫筆尖如錐兮。利如刀。 江南石上有老兎。喫竹飲泉生紫毫。宣城工人採為筆。千万毛中択一毫。
難軽功甚重。……(略)
とある。宣城は宣州ともいった。中山は江蘇者にあって兎毫を産し、安徽省宝城にもある。 また陝西省にもある。白楽天の宣城は安徽省の宝城である。韓退之の『毛頴伝」に「毛頴者中山人也」とあるのは江蘇省の中山を指すものと思われる。出所:『文房古玩事典』宇野雪村
関連用語:
|
|
Copyright 2006 abc0120 All rights reserved.