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年希堯 2010年3月30日更新
【和:ねんきぎょう】 |
【中:Nian xi rao】 |
明・清|歴史人物|>年希堯 |
陶政家。年希堯は漢軍八旗の鑲黄旗の旅人で、父の年遐齢は康熙三一年に湖広巡撫の大官にまで累進した。希堯はかれの長子で、字は允恭といった。かれも官を重ねて工部侍郎に進み、雍正元年には広東巡撫にまでなったが、弟の年羹堯はしばしばの戦功によって大官になり、さらに青海平定の功によって、太傳・一等公という最高の地位にまで昇ったが、私欲をほしいままにし数十条の罪科をあげられて死を賜った。かれもこの事件に連累して免職されてしまったが、雍正四年(一七二六)に改めて内務府総管に任じられ、ついで淮関の税務管理を兼ねしめられた。このとき景徳鎮の固務も兼任したのである。
そして雍正一二年には都家院左都御史銜の官を加えられたが、翌年ふたたび免職され、乾隆三年(一七三八)に歿した。
著書に『算法纂要総網』など数学に関するものが数点あるので、また常人とは異なった趣味・性格であったことがわかる。 かれの陶政時代には陶磁が隆盛になってきたので種類が多くなったが、特にかれの姓を冠した年窯という仿宋官窯青磁がある。青色は淡く牛毛文 (氷裂文)が入っている。
出所:「清の官窯」
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