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奏楽天人龍虎蓮華唐草文柱座 2009年1月20日更新
【和:そうがくてんにんりゅうこれんげからくさもんちゅうざ】 |
【中:Feng lou tian ren long hu lian hua tang cao wen zhu zuo】 |
晋・南北朝|彫刻・書画|>奏楽天人龍虎蓮華唐草文柱座 |
1965年 山西省大同市城東石家寨司馬金龍墓(太和八年〈四八四>)出土
砂岩
高15.6、幅32.0、奥行32.0
北魏 五世紀後半
山西大同市博物館蔵
龍虎蓮華唐草文柱座と同じ墓から発見された、ほぼ同形同大の石座で、この他に二基、同種のものがある。支柱の類を立てるための台座と考えられるが、本来の用途はなお詳らかでない。
上方の円形部には、中央に蓮華が大きくかたどられ、その外側に交互に絡み合う龍と虎(計四頭)、その下に雲気あるいは山岳状の文様がめぐらされている。下方の方形部の四側面には、パルメット唐草と様々な姿態の天人が表わされ、その上面の四隅に、琵琶・横笛・鼓などを手にした、童子形の丸々とした肢体の天人が丸彫りされている。天上世界の有様を象徴的に表現した図像と見ることができよう。中心に開けられた円孔は底部まで買通する。
立体表現には、やや生硬さがあるものの、雲崗石窟(山西省大同市西方)の造像や同時期の仏像の台座などとも共通した、平明で張りのある造形がなされている。唐時代(六一八~九〇七年)の写実的な表現とは異質な、五世紀後半の北魏(三八六~五三四年)ならではの作風といえよう。
墓主の司馬金龍は、東晋(三一七~四二〇年)から北魏に亡命した皇族・司馬楚子の息子で、朔州刺史(長官)にまで至った、時の権力者の一人である。この墓からは、本品のような石製品のほか、漆製品や木・陶・鉄製品など、四五〇件以上にものぼる貴重な遺物が発見され、注目を集めた。出所:唐の女帝・則天武后とその時代展1998
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