考古用語辞典 A-Words

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懿徳太子墓 2009年2月1日更新

懿徳太子墓
【和:いとくたいしぼ
【中:Yi de tai zi mu
隋・唐・五代|建造物・遺跡・墓|>懿徳太子墓

懿徳太子(六八二~七〇一年)、本名は李重潤、中宗(在位七〇五~七一〇年)の長子で、則天武后(在位六九〇~七〇五年)の孫にあたる。大足元年(七〇一)、妹の永泰公主(ヨフム9参照)とともに、則天武后から死を賜わり、洛陽郊外に葬られたが、神龍二年(七〇六)、陝西省乾県にある乾陵(高宗と則天武后の合葬墓)の東南の隅に改葬された。
一九七一年、この墓の発堀調査が行われ、全長一〇〇メートルに及ぶ遺構が明らかとなった。内部は、墓道と、その奥に続く甬道(通路)および前後二つの墓室からなり、後室には、宮女、霊獣などの線刻画のある家形の石槨が置かれていた。墓道から甬道・墓室にかけての壁面と天丼には、儀仗図、官女図などをはじめとする宮廷生活や、楼閣、山岳、霊獣、星辰などが描かれた四〇組以上にのぼる壁画が良好な状態で残存していた。また、膨大な数量の騎馬俑や、三彩ほかの陶磁器、金銀器、玉器、哀冊残片など一〇〇〇余点の遺物も出土した。 壁画・遺物とも、皇族の墓にふさわしい質量を誇り、章懐太子(李賢・六五一~六八四年)や永泰公主の墓と並び、唐時代(六一八~九〇七年)盛期の文化の諸相を示す、きわめて重要な遺跡の一つである。出所:唐の女帝・則天武后とその時代展1998
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