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九成宮醴泉銘(海内第一本) 2009年3月9日更新
【和:きゅうせいきゅうれいせんめい】 |
【中:Jiu cheng gong li quan ming】 |
隋・唐・五代|彫刻・書画|>九成宮醴泉銘(海内第一本) |
欧陽詢筆
一帖
紙本墨拓
縦28.6 横15.4
唐時代・貞観六年(六三二)
貞観五年(六三一)、唐太宗 は隋の文帝の仁寿宮を修復して離宮を造営し、名を九成宮と改めた。翌年、太宗がこの離宮を避暑に訪れると、水の乏しい土地にもかかわらず、偶然にも宮中の一隅に清水が湧き出ている醴泉を見出した。この碑は、太宗がこれを唐朝の徳治に応ずる瑞兆とみなし、魏徴 に撰文を、欧陽詢(五五七―六四一)に書丹を命じたものである。魏徴五十三歳、欧陽詢七十六歳の時であった。著録によれば、欧陽詢の筆になる書碑は二十余種を数えるが、九成宮醴泉銘は勅を奉じて揮亳した唯一の作になる。英知の結晶というべき非凡な点画の構成方法や、縦長な字形に懐をしぼった凛々しい姿は、初唐に確立された楷書の典型の一つとして、古くから「楷書の極則」と絶賛されている。
原石は陝西省西安の西北に位置する麟游県に現存するが、傷みが激しい。拓本も重刻本が多く、宋拓は得がたい。現存する九成宮醴泉銘の拓本の中では、北京故宮博物院 の李祺旧蔵本とこの拓本が最も名高い。欠損の状況から、北宋拓と考えられる李祺旧蔵本がやや骨太であるのに対し、本作の採拓時期はやや降ると考えられるものの、過動で痩身の姿態は、李祺旧蔵本とは一味異なる書品を湛えて見事である。出所:書の至宝-日本と中国2006
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